「平穏死」を考える 「延命ありき」は無責任
昨日の日経夕刊より
「平穏死」を考える 「延命ありき」は無責任
石飛 幸三さんに聞く
人生の最終章がこれでいいのか
人間は必ず死ぬ。できれば天寿をまっとうし、穏やかに逝きたい。ところが現代医療はこの願いを踏みにじり、死期の迫ったお年寄りに無用の苦痛を強いている――。
7年前に特養の医師になった。そこで目にしたのは手足が曲がったままかたまり、寝返りも打てず、自分の意思もなくした人が、1日3回胃瘻で宇宙食のような栄養液を入れられて生き永らえている姿だった。
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時々、非常勤でお手伝いさせていただいているところも、このようなお年寄りが多数入院しています。
まさに、死を待つだけなのですが、栄養は十分なのでなかなか死ぬことができません。上記のような状態で数年生きながらえることになります。
そうなると、家族とも疎遠になりがちになります。そして、1日中虚空を見つめ、あるいは苦悶の表情をうかべベッドに寝ています。
人生の終末がこれでは、悲しすぎる、さびしすぎる。
なぜ、こんな状態で生きながらえなければいけないのか。
心の中では、早く迎えに来てくれと祈っています。
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無責任な事なかれ主義が現状を招いた
なぜこんな事態が起きているのか。「皆が責任をとらなくなったから」。石飛さんは断言する。施設の職員はお年寄りの容体が急変すると、家族に責任を追及されたくないのですぐ病院に送る。病院は延命の手段があるのにしなければ不作為の殺人に問われかねないと手術をする。長期入院されては困るので胃瘻をつくり施設に送り返す。
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このような事態を防ぐには、元気なときにしっかりと自分の意思を伝えておくことが大切だといいます。
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それぞれが死に向き合う時代が来ている
それぞれが元気なときから自分の死と向き合い、どんな最期を迎えたいかを言葉や文書で周囲に伝えることを勧める。
「戦後の日本人は死を正面からみつめなくなった。縁起が悪いだのなんだのと言って先送りしている。でも、だれにも必ず死はおとずれる。人生最大の問題なんです」
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「人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。希望なしに人が生き続けることはできない」1Q84:村上春樹
「誕生のときは、あなただけが泣き、世界中が喜びにわく。死ぬときは、世界中が泣き、あなたは喜びにあふれる。かくの如く生きなさい」 チベット死者の書
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか
「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書 い-5-1)
読んでみようと思います。