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整形外科クリニック理学療法士のひとり言。読んだ本、理学療法、サッカー観戦などとりとめなく

スペシャリストからプロフェッショナルを目指して

「学ぶとはどうゆうことか:佐々木 毅」
第7章 「専門性と「学ぶ」こと プロフェッショナルの魂を求めて」より
 

『専門的知識が強く求められるのは、混乱した、取り扱いが困難な現実がある場合であり、技術的にきれいに「解決」可能な事象はそもそも社会的にほとんど問題にならない。』

すっきりしない感じを常に抱えていたのですが、専門家(スペシャリスト)の扱う仕事としては、当然のことということで腑に落ちました。
そして、「考える専門家」にとっては、「厳密さ」であるよりも「適切さ」が必要で、その「適切さ」に関しては、厳密な知識のようなコンセンサスを得ることは不可能だといいます。

「厳密さ」に行き過ぎると個別性への対応がうまくいかないといったことが考えられます。しかし、「適切さ」にした場合、本当にこれでよかったのか、もっといい方法があったのではないかという疑問が常に付きまとうような気もします。おそらく、これがすっきりしなさになるのでしょう。

しかし、その「適切さ」を追求するのが「プロフェッショナル」だと、

『すでに「学んだ」固定的な「方法」の機械的な適用に邁進するという専門家の姿に代わって、実践における目的をも問い直し、「適切さ」を執拗に求めて技能、技法を試し、洗練させる者は、専門家(スペシャリスト)と区別してプロフェッショナルと呼ぶことにしたい。』

『 つねに「より適切な」解決を求める不断の活動が行われることを前提に、ある種の謙虚さを持ちながら、しかし「適切さ」のために闘い続けるのがプロフェッショナルの魂というべきものである。』


プロフェッショナルの条件としては、公共性や社会性が必要である。

『プロフェッショナルは「天職」と訳されるが、それは経済的な打算を行動基準としないだけではなく、広い意味での公共性を視野に入れた発想を持つことを内包せざるを得ない。自分の個人的利益になるかどうか、目の前の利害関係者などの役に立つかどうかといった狭い了見以上の視野を持つべきである。』

スペシャリストからプロフェッショナルを目指したいものです。
そのためには・・・

『出来合いの知識を振り回すことから新しい展望が開けるはずがなく、知の奥行きの深さを謙虚に見つめ、継続的に「学ぶ」精神が必要になる。』

プロフェッショナルは、ゴールなき螺旋階段を上り続けることを楽しめなければならない。
しかも、「学ぶ」だけではダメそうで、

『公式化できないし、論理的に説明できないタイプの知があること、それは「感じとられる」ものであっても「学ぶ」という行為の外にあるように見える。』

「感じとること」も大切。
それには、よく澄んだ眼を持つこと、正しい精神を持つこととパスカルは言っています。
プロフェッショナルになるには、「心(気持ち、心持ち)、技(技術)、体(知識)」。

学ぶとはどういうことか