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整形外科クリニック理学療法士のひとり言。読んだ本、理学療法、サッカー観戦などとりとめなく

哀しみ抜く

大切な子供や人を亡くして、哀しみに暮れる場合。

その哀しみの経験を通じて、自分に何かを学ばせてくれる機会を与えてくれているんだよ、という考え方があります。

これは、認知を良い方向に変えていく方法だといえます。
自己啓発本などでも、悪い出来事をいい機会と捉える人は、幸福で成功しやすいと言われています。

自分も悪くない方法だと思いますし、ヨーガ療法でも用います。

しかし、一方、真実をどこかでゆがめてしまっているのではないという思いもあります。
また、自分がそのような立場になった時に、本当にそう認知出来るのだろうかという思いもあります。

ノルウェイの森では、哀しみ抜くことだといいます。
「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。」

自分的には、なんとなくこっちの方がしっくりくるような気がします。

そして、その時に大切なのは、決して自分を悲劇の人にしてしまわないことが大切だと思います。

ノルウェイの森の永沢さんも言います。
「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

ありのままを見つめて、修飾せず哀しみ抜く。
難しそうです。