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整形外科クリニック理学療法士のひとり言。読んだ本、理学療法、サッカー観戦などとりとめなく

2016年の気になった言葉③ <子と親>

2016年の気になった言葉③  <子と親>

 

生きることは「苦」である、そして「意味がない」そういうことに納得してしまうものにとっては、そこに「子」を向かい入れてしまったことに、どこかで申し訳なさを感じている訳です。

 

【私たちにとって生きることは大変なのです。苦しみに満ちているのです。動物であろうが、人間であろうが、生きることは決して楽なことではありません。そして、子孫も同じ運命をたどらなくてはいけないのです】

 

【人間において、「親」とは単に生き物として次世代の個体「子」を産む存在ではない。ある存在に対して「自己」を付与した責任を全面的に引き受ける、特別な「他者」としての存在の仕方なのである】

 

どうしても「子」に、「苦」や「自己」を与えてしまった責任を感じるわけです。

 

【死を嫌がる生命は子孫をつくることに恐怖感を抱くはずです。そうなってくると、利己的な遺伝子は困ります。そのエサは快楽です】

 

【人は、みずから一度よく考えて見るべきだ。子を産ませる動作が、生理的な欲求でなく、快楽をともなうものでもなく、純粋に理性的な熟慮を要すべき問題であったとしたならば、その場合にも、けだし、人類は、なお存続するであろうか?】

 

「子」に対して、申し訳なさを抱えているのですが、「親」に対して産み出されたことに不平があるかというと、不思議とそういった思いはありません。

何故かと考えると、「親」に産み出されたという感覚が希薄だからです。

「親」によって、ここにいるという感じがしないのです。

これは、ただ「自己」が強すぎるからだけなのかもしれません。

 

【不淫戒の核心的意味とは、「他者が課す自己」という構造において、もはや「自己」を誰にも課さない、という意志、つまり、子供を持たない意志なのである。自分は「自己を課す」立場(親)にはならない、ということ】

 

宗教的、哲学的な考えを追っていくと、「子」は持たないほうがよいという結論になるのかもしれませんが、以下のような捉え方もあります。

 

【悟りを開くチャンスがある唯一の境涯・人間に私を生ませてくれた。そして私が一人立ちできるまで、死なないように必死で守って保護して育て上げてくれた、その大恩ある父を殺すこと母を殺すことは、どうにも償いようのない大罪なのです】

 

今後の課題です。