.2019年の言葉③ 生きる
【生きる】
・ワタシは、少年のころから自分が「たまたま地上に生まれさせられ、苦しみ喘いで生きて、そして間もなく死なねばならない」という残酷な状況に投げ込まれることが、どうしても納得できなかった。ここには何か隠されたトリックがあるに違いないと思っていた。それを知ろうとして、「哲学」にすがりついたわけだが、それから五十年経って、哲学はけっしてこうした問題を最終的に解決してくれそうもない、という思いがしだいに強くなる。だが、いまのところ私は哲学を捨てて信仰(悟り)に至ることもできそうもない。そんな宙ぶらりんなかたちで、ここしばらく生きてるんだよ。#1
・生と死の時間は平行に流れている。むしろ死の重力がかからない生というのは、生でないと思う。その死の重力が圧倒的に強い。生きていることは、死の上澄みでしかないとさえ感じることもある。死の重力に必死になって抵抗しながら、我々は生きている。その抵抗こそが生きる意味ではないでしょうか。#2
・死ぬのが怖いから生きている。人は何のために生きるのか。今、私が確かに言えるのはそれだけだ。#3
・ブッダは苦行を否定したし、八十歳まで生きたわけです。そのことが、「自己を解消すればいい」のではなく、「自己を解消するために自己を生きるんだ」という何よりの証拠ではないでしょうか。
・自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
・「私たちは何のために生きているのでしょう?」
「何のためじゃなく、私たちは、ただ感謝して生きてゆくんだよ」
生まれてきて丸儲けと素直に思えず、#1や#2に共感を覚えてしまう。
したがって、そんなところに放り込んでしまった子供たちには罪悪感を感じる。
しかし、自分が親に対して、こんなところに放りこみやがってとは思わなかった。
何故なら、親から産み出された実感がないからである。
産み出されたのは、もう、必然的で、大きな力のあらがえないものを感じる。
だから、少しはじたばたするけど、この大きな流れに乗っかって生きていくしかない。
こうみると、むちゃくちゃ悲観的に生きているみたいだけど、普段は感謝して、結構楽しく生きています。
でも、#3のノムさんの言葉はちょっとショックだったな・・・。
さぁ、今日から仕事です。貢献、貢献。