.自殺についての言葉たち
誰もがうらやむような人たちが亡くなっていきます。
死というのは限りなく個人的なもので、究極的には何かが変えられるということはできないのかもしれません。
しかし、私は、なんとか生きながらえています。
これらの言葉が、どこかでアンカーになっていたのかもしれません。
「私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくていいじゃない。だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ」
「自殺も思い上がりだと思うんです。エゴイスティックな行為ですね。人間は放っておいても、死ぬ時が来るから」
「・・その世界の唯一の光を、無限に時間の中に与えられた唯一の例外的な時を、抹殺してしまってよいでしょうか。それは一種の『越権』ではないでしょうか。これが、人が生き続ける理由だと思います」
哲学者 永井均
「生きる意味はあるものではない。作るものだと思う。自殺できることを承知で、なお生を選ぶとき、初めてそこに意味が生まれるんだ」
「自死それ自体は善でも悪でもない。しかし、自死しないという決意が善の根拠であり、自死の肯定が悪を生み出す。自死そのものは悪ではないが、善を無効にする。この世に善を望むならば、自死してはならない。人に自死させてはならない。『他者に課せられた自己』を拒絶してはならない。させてはならない。これは理解の問題ではなく、あくまでも意志の問題である。南直哉:善の根拠 (講談社現代新書)
「どんなことがあっても自殺しないでください。生きることがどんなに辛くても、どんなに虚しくても、誰にでも『たまたま地上に生まれてきて、もうじき死ななければならない』、この理不尽を考えるためだけに生きるという生き方、すなわち『哲学する』という生き方は残されているのですから…。
「あえてなぜ自殺してはならないかの理由を挙げてみるなら、
一つは、きみにはたった一度しか生きるチャンスが与えられないのに、それをみすみす自分の手で奪い去ってしまうのは「もったいない」じゃないか。
二つ目は、やはりきみが死ぬときみのまわりの多くの人が悲しむということに行き着くと思う」
「人生、とにかく生きて見たければわからない、そして生きていくうちに『変わりうる』」