千手観音像の手と眼の意味 そんな理学療法士でありたい
【千手観音像の手と眼の意味 千手観音のような理学療法士でありたい】
南直哉著「刺さる言葉」の中に千手観音像の手と眼について書かれていました。
千手観音像の手と眼は、「闇の中、後ろ手で枕を捜す」当てのない行為である。
人それぞれのくるしみを、ああだろうかこうだろうかと、想像力を必死で働かせ、多くの失敗を重ねながら、決してあきらめずに、苦悩する他者に関わり続けようとしている。
その想像力を千の眼といい、その努力を千の手という。一人の苦しみに対する千の努力のうち、九百九十九が無駄になろうと、決してあきらめない意志と行為こそ、観音の慈悲なのです。
観音様の慈悲とは、あらかじめ超能力を備えていて、救うべき人間とその苦悩を熟知した上で、片っ端から救済していく、ということではない。
本の題名どおり、刺さりました。
自分は、千手観音は片っ端から救済してく能力があるのだと思っていました。
しかし、そうではなく想像力を必死で働かせ、失敗を重ねながら、決してあきらめずに、関わり続ける。
理学療法士としてそうありたいと、刺しておきました。